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食卓に珈琲とチョコレートとラーメンを。

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※人を選ぶ作品の話。


洋画の原作小説を読むのは実は初めてなのですが、「時計じかけのオレンジ(完全版)」だと映画と結末が違うとのことで読んでみました。
恥ずかしながら、映画は見たものの小説があることは知っていながら手を出したのが今更だという話です。
映画と小説の詳細に関しては知っている人も多そうですが、割愛させていただきます。

「時計じかけのオレンジ」は最初にタイトルを見た時から気になっていました。
初めて出会ったのは小学校の時のレンタルビデオ店で、ヒッチコックの「サイコ」やオカルトホラー「サスペリア」とかの並んでいる棚に置いてあったと思います。
その後すぐ借りたのだが、中学時代だったのかわかりませんが一度レンタルしてそれきりでした。
けれどもいくつかのシーンは印象的で、小説を読みながらそういえばそんなシーンあったなと。

最初は独特の一人称とナッドサッド言葉(ハラショーという単語はロシア語にも関わらず、勝手に日本語のイメージがあったので不思議な感覚でした)というスラングに読みにくさを感じてましたが、中盤を越えると慣れてくるものですね。
映画では主人公が元通りに戻った話で終了しているのですが、小説のあの続きはあまり認めたくはないのですが現実的ですね。
それを意図的にカットしたと聞いて、スティーヴン・キングが「シャイニング」の映画について作品の意図に反していると言っていた話を思い出していたら、同じスタンリー・キューブリックでしたね。
映画と小説は違うなと「時計じかけのオレンジ」に対しても思ってしまいました。

私だけかもしれないのですが、洋画の特にオカルトやホラー(細かいジャンルが曖昧なのですが)に関しては衝撃があるラストを好むように思うので。そういう意味ではスタンリー・キューブリックはすごいなと思います。

教誨師の「善と言うものは、心から来るもんなんだよ、」と「善というものは、選ばれるべきものなんだ」の言葉は、今だからこそ考えてしまうものなのかもしれないです。

それにしても「時計じかけのオレンジ」に関しては、どちらも救いようがないと思うのは私だけでしょうか?
『機械じかけ』ではなく『時計じかけ』なんですよね。

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