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食卓に珈琲とチョコレートとラーメンを。

悪魔くん二次創作と管理人のきまま語りが主な内容。 苦手な方はプラウザバック推奨。 四代目シリーズ、絶賛応援中!

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書いたり、読んだりしながら、ふと気づいた。
私は、多分、彼等を否定しているんだなぁ。

私が視点に持ってくることの多い二人は、私が書くと千年王国を否定している。
そんな理想を叶えるのは、無理だからやめちまえよ。

それはそのまま私の意見なのかなと思った。


私は彼等のことを人より頭のよくて、悪魔と出会うことができた子どもとしか見てない。

どこかの変身ヒーローやパンの人ではなく、誰もが知ってる眼鏡のへたれくんや電気鼠を連れて旅をするあの少年に近いイメージ。同列にすると全然違うんだけれども、そうすると一番わかりやすい。

そう思うと、彼等の背負っているものが重すぎる。『ノストラダムス大予言』の結末なんて、なんてエンディングにしやがるんだと思いたくなる。
それでも彼等は立っていて、歩いていて、走っていて、戦う。千年王国という理想のために。

学校という小規模なコミュニティーでも戦争は起きるっていうのに、世界平和なんて無理だというのはずっと思っていたんだよね。
けれども全否定してしまえば、それは放棄と変わりがない。だから、手の届く自分の周りぐらいは平和であればいいと思っている。
そうでなくても世界平和なんてものは、子どもが考えるのはいいと思うけど、背負うべきなのは大人じゃないのかな。

子どもがどう言葉を放っても馬鹿にされるし、大人になればわかるよとあしらわれる。
佐藤さんが本編中で、悪魔を召喚する能力そのものが既に悪魔と言った風のことを言っているけれど、それぐらいの力がないと大人には対抗できない気がする。

大人になれば、単純に選挙権という政治に関われる権利もあるし、意見すれば相手にしてもらえる確率が高い。子ども100人が文句を言うのと大人100人が意見をいうのとでは影響力が違うよ。

ああ、駄目だ。子どもは子どもらしくなんて思った時点で、私はもう駄目な大人だ。
でも、子どもの時だけなんだよ。心を自由にできるのは、背負わずに許されるのは、大人になると色々飛んでくるんだよ。責任とか義務とかなんかよくわかんないものとか。

人間の一生における子どもの時間なんて、ほんのちょっとしかない。確かに親に縛られているけど、否定なんてないままに心の中で夢を描くことはできる。あるいは進んでいける。信じていられる。

自分というのがわかってくると穴に飛び込むのが怖くなる。暗い穴の向こうに希望があるかもなんて思えない。地面があって打ちつけられる想像。

違う。それは全部、後付けか。
ずっと言い続けているけど、私は彼等をどうにか幸せにしたいんだ。
理想とか使命とか、そういうのに雁字搦めにさせられて、自分自身すらも犠牲にしてしまうような生き方をさせたくないんだ。
味方よりもずっと敵の方が大きくて、負けてしまうのを見たくはないんだ。

自己保身かな。彼等なら世界を変えられるかもと思っているけれど、万が一、変えられなかった時のショックに耐えられないからなのかもしれない。

どちらにしろ、私はエゴイストに違いない。

ちょっくら松下くんに耳をちぎられて、メフィストに「助ける気はないな」と言われてくる!

 

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